『自然体のつくり方』斎藤考著

自然体のつくり方―レスポンスする身体へ

自然体のつくり方―レスポンスする身体へ

いかに自然体で話しかけることができるか。それが声かけにおける重要な要素の一つだろう。

しかし、これが難しい。ナンパを始めたばかりの頃は、“自然”とはほど遠い緊張と不安が身体を支配する。「会話が続かなかったらどうしよう」「変な人だと思われたらどうしよう」「第一声が思い浮かばない」…。すべて瑣末な心配ごとだと分かりつつも、身体がなかなか動いてくれない。さてどうやって解消するか。ナンパマニュアル本を読む。そこにはこう書かれている。「キャラ(○○系)を演じなさい。そして以下のような流れで声かけすればうまくいきます」。誠実系、チャラ系、お笑い系…ナンパには色々な系統があるようだ。間接法、直接法ということばも出てくる。「じゃあ、僕は○○系かな」。そう、これが大きな落とし穴だ。キャラを演じるというのは鎧を着ることと似ていて、相手に自分の感情を読まれないようにしているだけ。つまり自分の緊張や不安から目を逸らしているに過ぎない。

僕はいまだに声かけで緊張する。以前は自分をキャラ化して、会話のテンプレを頭に入れて、声かけしていた。これは楽な方法だ。緊張や不安も少ない。いまはありのままの自分で、会話は流れ任せ。だからいまのほうが緊張しているのかもしれない。それでも無理に緊張や不安を隠さずに、「あ、いまちょっと緊張しているな」とメタ的な視線で自分を見つめる。そうすると自然に緊張や不安が和らいでくる。すっと女の子の視界に入って話しかける。単純そうで難しい。もっと自然に声をかけられたらいいのになと思う。そもそも見知らぬ人に声をかけるというは“不自然”な行為である。そこで“自然”な声かけとは何なのだろうか。そのヒントが『自然体のつくり方』に書かれている。

技としての自然体

「自然体で臨め」という時の“自然体”とは何だろうか。一般的には無駄がなく、リラックスした状態のことだろう。しかし、著者は自然体=技*1として捉えて、以下のように定義している。

からだに中心軸がとおっていて、安定感があり、リラックスしながらも覚醒しているような身体のあり方。こうしたあり方は、かつて自然体と呼ばれていた。自然体とは、自分の中心は崩れないで、周りの状況に対して柔軟に「当意即妙」に対応できるような身体のあり方である。(p.21-22)

意識の全体をかりに十とするならば、半分の五を他者に向けつつ、残りの五は自分自身の内側へ向かう意識として残しておく。状況に応じて外/内の意識の配分を調節する。外部を意識すると同時に内部を意識する。こうした意識の配分の技が、自然体にはともなっている。(p.34)

「リラックスしながら覚醒」「外部を意識すると同時に内部を意識する」といった矛盾しているようなことばが並んでいるが、つまりは心身ともにバランスが取れている状態のことだ。著者はそれを「上虚下実」とも言い換えている。上半身、とくに肩やみぞおちの力が抜けていて「虚」となり、下半身は力強く張りがある「実」の状態のことらしい。

ナンパに話を戻すと、自然な声かけをするには、意識的に自然体を作る必要がある。具体的な方法は本書の一部に書かれている。これはすぐに実践できるものではなく、訓練・練習を要するものだ。それでも少し試してみれば、身体動作が心の安定感を生み出すことに気づくはずだ。声かけでの緊張や不安。それらを取り除くのは、キャラ化などのテクニックではなく、自然体という身体のあり方なのだろう。

他者との間合いを感じる

自然体で声をかけることができたとしよう。相手から反応がある。そこでそれに応える。ナンパはコミュニケーションの積み重ねといっていい。著者は、このような他者からの働きかけに対して、なんらかの応答をする力では、距離感覚(物理的な距離ではなく、身体感覚)が重要だと述べている。そして武道でいう「間合い」に例えて以下のように説明している。

自分がどの程度、踏み込めば相手に技が決まるのか。それを感じとりながら相手との距離を詰めたり開いたりしていくのが間合いの感覚だ。相手との間合いを刻一刻、感じとりながら、微妙に自分の構えを変えていく。このような構えと間合いの微妙な連携が、コミュニケーション力にとっては重要である。(p.144)

声かけした時、相手の反応はさまざまだ。積極的に自分のことを話してくれる人、こちらの質問のみに応える人、話をただ聞いてうなずくだけの人…。まず自分と相手がどのくらいの距離感覚にいるのかを認識するのが大切なのだろう。連れ出しやアポでも同様のことがいえる。自分と相手との距離感覚を意識することによって、うまく距離を縮めていくことができる。最終的には相手に技が一歩決まる手前、懐に入った状態まで近づけば、セックスするのは容易になる。話はやや逸れるけど、この文脈でいうと簡単に技にかかってしまう、一気に距離を縮めても反応が薄い人が即系なのでしょうね。

ナンパは“沿いつつずらす”行為

自分ひとりの目的に合わせて勝手に動くのではなく、相手の方向性にまず沿うことが、関係のエネルギーを高めることになる。沿いつつずらすといっても、行き先をこちらが勝手に固定化してしまっていれば、上手な営業マンのセールスと変わらなくなってしまう。ここでのずらしは、あらかじめ決められた結論や場所に相手をもっていくというのではなく、動きのなかで、その動きをより活性化するような方向へと、方向をずらすということである。(p.165)

上の文を読んで、ナンパは“沿いつつずらす”行為が理想だと思った。ナンパのマニュアル本やNLP関連の本では、相手に寄り添うことの大切さがよく書かれている。具体的にいうと、ミラーリングラポール、共感トークといったやつだ。とにかく相手に寄り添いましょう。そうすれば親密さが生まれます。本書の著者もまずは相手の力に沿うことが重要だと述べている(とくに相手の呼吸をはかって息を合わせることを重要視している)。その上で、関係を活性化させるには「ずらし」がカギになるといっている。

上の引用にも書かれているとおり、ここでの「ずらし」はあらかじめ決められた結論や場所に相手をもっていく動作ではない。つまり、連れ出しや即を目的として、相手に接することは間違いである。むしろ連れ出しや即は結果として捉え、まずは二人の関係性がどうすれば活性化するのか、そこに焦点を当てることが重要なのだろう。

ナンパをしている以上、連れ出しや即、あるいは準即をできたかが成功/不成功の分岐点になってしまうのは否定できない。ただし、それはあくまでも結果として捉えたほうがいいだろう。重要なのはいまお互いがどのような関係性にあり、どこをどのように刺激すれば、お互いの関係性が活性化するのか、そのことについて考えたほうがナンパはうまくいくのではないだろうか。

*1:かつての日本では、自然体が日常生活に浸透していた。しかし、文明の発展によって生活様式が変化し、自然体が失われた。とりわけ日本では身体の基本的な動作を「文化」として捉え尊重してこなかったため、自然体を技化で取り戻す、というのが著者の主張である。